百合子さまの葬儀で喪主を務めたのは、孫の彬子さまでした。
「なぜ信子さまではなく、孫の彬子さまだったの?」と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。
結論からいうと、宮内庁は彬子さまが喪主を務めることを発表していますが、選出理由そのものは詳しく公表していません。
ただ、三笠宮家の家族構成や過去の葬儀をたどると、彬子さまが喪主となった背景を考えるうえで重要な事実がいくつか見えてきます。

百合子さまの喪主はなぜ彬子さまだった?

百合子さまには、寬仁親王、桂宮宜仁親王、高円宮憲仁親王の3人の息子がいました。
しかし、3人はいずれも百合子さまより先に亡くなられています。
彬子さまは寬仁親王の長女で、百合子さまから見ると孫にあたります。
百合子さまの孫の中では最年長で、2024年の葬儀では彬子さまが喪主を務めました。
ただし、宮内庁は「孫の中で最年長だったから」「過去に喪主を務めた経験があったから」など、彬子さまが選ばれた具体的な理由までは公表していません。
そのため、家族構成や過去の葬儀での役割から経緯を考えることはできますが、それらが喪主人選の理由だったとは言い切れません。
信子さまが喪主ではなかった理由は公表されていない

信子さまは、百合子さまの長男である寬仁親王の妃です。
一般的な感覚では、長男の妻にあたる信子さまが喪主候補として思い浮かぶため、「なぜ信子さまではなかったのか」という疑問が出るのは自然です。
信子さまについては、寬仁親王の存命中から別居が続いていたことなどが報じられています。
また、2012年の寬仁親王の葬儀でも、喪主を務めたのは彬子さまでした。
ただし、こうした家族の事情が2024年の喪主人選に影響したと宮内庁が説明したわけではありません。
そのため、「信子さまとの関係が理由で彬子さまが選ばれた」と結びつけることはできません。

2012年の寬仁親王の葬儀でも彬子さまが喪主だった

彬子さまは、2024年の百合子さまの葬儀が初めての喪主だったわけではありません。
2012年に父・寛仁親王が亡くなられた際にも、喪主を務めたのは彬子さまでした。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、当時の新聞報道をもとに、宮内庁が「殿下の生前のお気持ちを踏まえたもの」と説明したことが記録されています。
また、毎日新聞の報道として、三笠宮ご夫妻とも相談したうえで決めたとする説明も紹介されています。
彬子さまは喪主・喪主代理を複数回務めている

三笠宮家の葬儀を振り返ると、彬子さまは喪主や喪主代理として何度も重要な役割を担ってきました。
| 年 | 故人 | 喪主 | 彬子さまの役割 |
|---|---|---|---|
| 2012年 | 寛仁親王 | 彬子さま | 喪主 |
| 2014年 | 桂宮宜仁親王 | 三笠宮崇仁親王 | 喪主代理 |
| 2016年 | 三笠宮崇仁親王 | 百合子さま | 喪主代理 |
| 2024年 | 三笠宮妃百合子さま | 彬子さま | 喪主 |
2016年の三笠宮崇仁親王の斂葬の儀では百合子さまが喪主を務め、その後の儀式では彬子さまが喪主代理を務めています。
こうした過去の役割を見ると、彬子さまが三笠宮家の葬儀で中心的な立場を担ってきたことが分かります。
ただし、過去の経験が2024年の喪主人選の理由だったと公式に説明されたわけではありません。
一方で、彬子さまが以前から三笠宮家の葬儀で喪主や喪主代理を務めていたことは確認できます。
その後、彬子さまは三笠宮家の当主に

百合子さまが亡くなられた後、三笠宮家は当主不在の状態となっていました。
2025年9月、家族内の話し合いで、彬子さまが三笠宮家を継承し、信子さまは新たに「三笠宮寬仁親王妃家」を設けることで合意しました。
同年9月30日の皇室経済会議では、彬子さまと信子さまがそれぞれ独立の生計を営む皇族となることが決められています。
ただし、彬子さまが2025年に三笠宮家の当主となったことは、2024年の百合子さまの喪主人選の理由を示すものではありません。
2024年の喪主人選と2025年の当主継承は、分けて考える必要があります。
まとめ
百合子さまの葬儀で彬子さまが喪主を務めた具体的な理由について、宮内庁は詳しく公表していません。
一方、彬子さまは2012年に父・寬仁親王の喪主を務め、2014年や2016年にも喪主代理を務めた経験があります。
信子さまではなかった理由についても詳しい説明はなく、家族関係などが喪主人選に影響したと断定することはできません。
その後、2025年には彬子さまが三笠宮家を継承し、現在は三笠宮家の当主となっています。



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