三笠宮妃・信子さまが、寛仁親王や百合子さまの葬儀に参列されなかった理由が注目されています。
2012年の寛仁親王の斂葬の儀では、信子さまは療養中だったと報じられました。
一方、2024年の百合子さまの斂葬の儀では、直前まで公務に出席されています。
この記事では、信子さまの葬儀欠席について、当時の状況や公表されている情報を整理します。

信子さまが葬儀を欠席した理由は?
まず確認したいのが、2012年6月に行われた寛仁親王の斂葬の儀です。

寛仁親王は「ヒゲの殿下」として親しまれた三笠宮家の長男で、信子さまの夫にあたります。

斂葬の儀に信子さまは参列されず、長女の彬子さまが喪主を務めました。
当時の信子さまの状況と、葬儀を欠席された理由について詳しく見ていきます。
2012年当時は療養中と報じられていた

信子さまが寛仁親王の斂葬の儀に参列されなかった当時、療養中だったことは報じられています。
そのため、葬儀欠席と体調不良を結びつける情報も見られますが、宮内庁が欠席理由として明言したものではありません。
一方で、療養中だったとの報道がある以上、「体調不良はデマだった」と断定する根拠もありません。
現時点では、療養中だったことと、葬儀を欠席した直接の理由は分けて考える必要があります。
彬子さまが喪主を務めた理由

寛仁親王の葬儀では、信子さまではなく長女の彬子さまが喪主を務めました。
この点も、「なぜ妻ではなく娘が喪主だったのか」と注目された理由の一つです。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、当時の新聞報道を調べた記録が残っています。
そこでは、宮内庁が彬子さまを喪主とした理由について、「殿下の生前のお気持ちを踏まえたもの」としていたことが紹介されています。
さらに、三笠宮ご夫妻とも相談した上で決めたと報じられていました。
このため、彬子さまが喪主を務めた理由を、信子さまの療養だけで説明することはできません。
信子さまは百合子さまの葬儀にも参列されなかった?

2024年11月26日には、三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀が行われました。
百合子さまは寛仁親王の母で、信子さまにとって義母にあたります。
宮内庁が公表した当日のご日程には、信子さまのお名前は記載されていません。

ただし、欠席理由について宮内庁から詳しい説明は出ていません。
信子さまは2024年11月3日にも、群馬県高崎市で行われた講道館杯全日本柔道体重別選手権大会に臨席されています。
このため、2024年11月当時に公務全般を休まれていたわけではありません。
百合子さまの斂葬の儀を欠席された理由は公表されておらず、「療養中だったから」と断定することはできません。
2012年と2024年では、欠席当時の状況が異なっていたことが分かります。
信子さまの葬儀欠席が不仲説と結びつけられる理由

信子さまをめぐっては、寛仁親王との別居や、彬子さまとの母娘関係について週刊誌などでたびたび報じられてきました。
こうした報道と葬儀欠席があわせて取り上げられ、「不仲」「確執」と結びつけて語られることもあります。
ただし、これらは家族関係をめぐる報道であり、宮内庁が葬儀の欠席理由として不仲や確執を挙げた事実は確認できません。
2012年は療養中だったと報じられている一方、2024年は斂葬の儀の直前まで公務に出席されています。
2012年と2024年では当時の状況が異なるため、同じ理由で欠席したと考えることはできません。
信子さまの別居をめぐる経緯については、こちらで詳しく紹介しています。

まとめ
信子さまは、2012年の寛仁親王の斂葬の儀に参列されず、2024年の百合子さまの斂葬の儀でも出席は確認されていません。
2012年は療養中だったと報じられていますが、宮内庁が体調不良を欠席理由として公表したわけではありません。
2024年についても理由は明らかにされておらず、直前まで公務に出席されていたことが確認できます。
不仲や確執が欠席理由だったと断定できる公式情報はなく、2012年と2024年は分けて考えるのが適切です。



コメント