高円宮妃の久子さまと亡き憲仁親王といえば
高円宮妃の久子さまと亡き憲仁親王は、仲睦まじいご夫婦として語られることが多いですよね。

お二人の出会いってどんな感じだったの?
やっぱりお見合いなのかな?
お二人の馴れ初めは、一般的なお見合いではなく、
カナダ大使館のレセプションで紹介されたことがきっかけでした。
そこからわずか1ヶ月でプロポーズに至るという、
皇室では異例のスピード感あふれる展開だったんです。
今回は、久子さまと憲仁親王の出会いや馴れ初めについてお伝えします。
- 憲仁親王と久子さまが初めて出会った場所
- 出会いからわずか1ヶ月で結婚を決めた馴れ初め
- 英語で交わされたプロポーズの言葉と久子さまの返事


憲仁親王と久子さまの出会いはカナダ大使館


憲仁親王と久子さまは、1984年4月23日、
東京・赤坂のカナダ大使館で開催されたレセプションパーティーで出会いました。


お二人の出会いから結婚までは、とても短い期間で進みました。
まずは流れを年表で整理してみます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1984年4月23日 | カナダ大使館のレセプションで出会う |
| 1984年5月20日 | 憲仁親王がプロポーズ |
| 1984年9月17日 | 納采の儀 |
| 1984年12月6日 | 結婚 |
この流れを見ると、出会いからプロポーズまでが約1ヶ月、
結婚までは約7ヶ月だったことが分かります。
当時の久子さまは、聖心女子大学を卒業後、翻訳や通訳の仕事に携わっていました。
憲仁親王は国際交流基金に勤務され、カナダとの関わりも深い方でした。


久子さまと共通の話題が多かったことも、初対面で会話が弾んだ理由のひとつです。
また久子さまは、憲仁親王の父である三笠宮崇仁親王が関わる国際会議で、通訳を務めたことがありました。
そのため、三笠宮家側にとって久子さまはまったく知らない存在ではなく、語学力や人柄が印象に残っていた可能性があります。
カナダ大使館での出会いは偶然のようでいて、すでにご縁の下地があったとも考えられます。
この時、別れ際に憲仁親王は



電話をします
と約束されました。
久子さまは、最初は社交辞令のように受け止めていたようです。
ところが、実際には1週間もたたないうちに連絡があり、その数日後には御本邸でお茶をする流れになりました。



この展開を見ると、憲仁親王が初対面の段階から、久子さまに好印象を持たれていたことがわかります。
憲仁親王と久子さまが初対面で意気投合した3つの理由


憲仁親王と久子さまが初対面で意気投合したのは、会話の中に共通する話題が多かったからだと考えられます。
特に大きかったのは、カナダとの縁、英語での自然なやり取り、そして音楽やバレエへの関心です。
ここでは、お二人の距離が短期間で縮まった理由を3つに分けて見ていきます。
英語で自然に会話できた


久子さまは、結婚前から英語力の高さでも知られていました。
久子さまの英語は「クイーンズイングリッシュ」と称されるほど美しく、憲仁親王も英語が上手な方という印象を持たれたとされています。
憲仁親王にとっても、英語は自分の気持ちを伝えやすい言葉だったようです。
初対面で英語を交えながら自然に会話できたことは、緊張を和らげるきっかけになったのでしょう。
後のプロポーズも英語だったことを考えると、英語はお二人の馴れ初めを語るうえで欠かせない要素です。
カナダとの縁があった


憲仁親王と久子さまの出会いの場は、東京・赤坂のカナダ大使館で開かれたレセプションパーティーでした。
憲仁親王は国際交流基金に勤務され、カナダとの関わりも深い方でした。
一方の久子さまも、海外経験や語学力を生かして翻訳・通訳の仕事に携わっていました。
そのため、初対面でも海外の話題や国際交流に関する会話が自然に広がったと考えられます。
単なる紹介の場ではなく、お二人にとって会話の接点が多い場だったことが分かります。
音楽やバレエの話題で会話が弾んだ


憲仁親王と久子さまは、音楽やバレエの話題でも会話が弾んだとされています。
初対面で共通の趣味が見つかると、形式的な挨拶だけで終わらず、自然に会話が続きやすくなります。
実際にお二人は、その後も仕事の合間を縫ってバレエ鑑賞会や音楽会に一緒に出かけていたとされています。
共通の趣味を通して会話を重ねたことも、短い期間で信頼が深まった理由のひとつでしょう。
カナダ、英語、音楽やバレエという複数の接点があったからこそ、出会いから約1ヶ月でプロポーズへ進むほどの関係になったのだと考えられます。
なぜ出会いからわずか1ヶ月で憲仁親王は久子さまにプロポーズしたのか


お二人にとって、交際期間の長さは重要ではありませんでした。
出会ってすぐに意気投合し、
短い期間の中でも結婚を意識するほど、
お互いへの信頼が深まっていったと考えられます。
「Will you marry me?」というプロポーズ


1984年5月20日、初めて会ってからたった4週間で
憲仁親王は結婚を申し込まれました。
プロポーズの言葉は、二人が親しんできた英語で



Will you marry me?
とてもシンプルなプロポーズだったのです。
そして久子さまはその場で「Yes」と即答。
憲仁親王が英語でプロポーズされたのは、少し照れくささもあったからだとされています。
久子さまにとっても、英語の方が気持ちをまっすぐ返しやすかったようです。
日本語であれば、両親に相談してからという流れになりやすい場面でも、英語だったからこそ、その場で素直に「Yes」と答えられたのかもしれません。
さらに印象的なのは、プロポーズの後です。
憲仁親王はそのまま久子さまの実家へ向かい、深夜にもかかわらずご両親に結婚の意思を伝えたとされています。
「たとえ皇族として生活できなくなる時が来たとしても、久子さんをきちんと守る」という趣旨の言葉を伝えたとされ、憲仁親王の覚悟が分かる場面です。
久子さまがプロポーズに即答した理由


久子さまがプロポーズに即答された理由には、短い期間でも憲仁親王への信頼が深まっていたことがあったと考えられます。
出会ってから約1ヶ月という早さだけを見ると驚きますが、お二人は会話を重ねる中で、価値観や感覚が自然に近いことを感じていたのでしょう。
プロポーズの前には、憲仁親王の父である三笠宮崇仁親王が、久子さまに憲仁親王への印象を尋ねた場面もあったとされています。


突然の話に驚いた久子さまは、当初、



そのような家柄ではない
という趣旨で遠慮されたようです。
しかし、三笠宮崇仁親王はすでに久子さまの家系を確認していました。
その中で、久子さまの曾祖母が貞明皇后のいとこにあたることも分かったとされています。
もちろん、先にあったのはお二人の気持ちです。
カナダや海外経験、バレエ、音楽などの共通点を通して会話が弾み、お互いの考え方に触れる中で、久子さまの中でも結婚への気持ちが自然に固まっていったのでしょう。
そこに家系上の縁も確認されたことで、結婚に向けた話がより具体的に進んでいきました。
出会いからプロポーズまでの期間は短くても、会話の深さや価値観の近さ、そして周囲の理解が重なったことで、久子さまはその場で「Yes」と答えられたのかもしれません。


憲仁親王と久子さまの馴れ初めに関するQ&A


憲仁親王と久子さまの馴れ初めは、カナダ大使館での出会いや英語でのプロポーズが特に注目されています。
ここでは、お二人の出会いから結婚までの流れについて、読者が気になりやすい点をQ&A形式で整理します。
まとめ
憲仁親王と久子さまの馴れ初めは、1984年4月23日に東京・赤坂のカナダ大使館で開かれたレセプションパーティーから始まりました。
一般的なお見合いではなく、大使夫人の紹介をきっかけに出会われたことが分かります。
お二人はカナダとの縁や英語での会話、音楽やバレエなどの共通点を通して、短い期間で距離を縮めていきました。
そして出会いから約1ヶ月後、憲仁親王は英語で「Will you marry me?」とプロポーズし、久子さまはその場で「Yes」と返事をされたとされています。
お二人の馴れ初めは、形式だけではなく、会話の相性や価値観の近さが結婚へつながったエピソードとして語られています。









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